第168回国会  厚生労働委員会臓器移植小委員会 第1号

○古屋(範)小委員 公明党の古屋範子でございます。

 本日は、参考人の皆様、朝早くから国会においでいただきまして貴重な御意見を賜りましたこと、心から感謝を申し上げる次第でございます。

 非常に重い臓器移植というテーマで小委員会が設置をされまして、きょう最初の参考人質疑でございます。それぞれの参考人の皆様にお伺いをしてまいりたいというふうに思っております。

 まず、野村参考人、御自身も海外で移植手術を二度受けられたということでございますし、また多くの方々のさまざまな移植に関することとかかわっていらっしゃるというふうに思いますが、海外での移植をするのに、先ほどは募金をして借金をしてということをお触れになりましたけれども、それ以外に御苦労している点がございましたら教えていただけますでしょうか。

○野村参考人 海外か日本かにかかわらず、命の瀕する、しかも緊急度の高い状況の中で、家族が静かに落ちついているはずがありません。

 しかも、外国に行った場合には二つのことがあります。明らかに、親戚ですとか友達とかと近くコミュニケーションをとって、あるいはお見舞いに来てくれて、サポートしてくれるということから全部切れて、自分たちで、多くの場合、家族はアパートを探さなきゃいけない。全く見知らぬ土地で、言葉も通じないところでアパートを探して、病院に本人がいてそこに通うというのは、もう御想像のおつきのとおりです。

 しかも、そこで言葉が違います。そして、ある意味では、これは僕は非常にいいことだと思っているんですが、日本の現実からいった場合、残念ながら、特にアメリカの場合でいいますと、すべてを言葉であれして、インフォームド・コンセントということがありますが、本人が理解をして了解しないと、お医者さんは一寸先にも進めないわけです。ということは、言葉で徹底的に議論をしてお互いの了解のもとで行っていくというのが大原則ですから。しかし、日本の場合は、英語であるということでとてつもなく困りますし、それから、ちょっと文化面になっちゃまずいんですが、小さいときからそういう議論を積み重ねて合理的に、論理的に結論に持っていくということになれていません。

 そこで、まして感情的になると、大変な誤解ですとか、それから今度は疑心暗鬼になりますと、ナースの方、お医者さんのちょっとした動きが、外国人なんだからじゃないか、こっちのことが、日本人が臓器を奪いに来たんじゃないだろうかと、ネガティブに、ネガティブに考え、しかもそれに対して今度はディフェンシブになっていくというのは大変つらい。

 それから、その結果、本当に努力してくれても、みんなが回復して、元気になって戻ってくるのはあれ、そして、よくたたえられるのは、元気になって戻ってきたら脚光を浴びるわけです。自分のお子さんの場合違うじゃないか、これはどういうことなんだと。

 そういう意味で、本当に命の問題というのはそう簡単に説明のつかない問題である。それが、そういういろいろな条件が、文化的にも言語的にも習慣的にも違う外国ではもっと大変だと思います。

 ですから、ある国では、その国では移植ができないのでアメリカにというのに会いました。東欧の国で、今名前は申しませんけれども。その場合は、国がカウンセラーと費用を全部つけて送る、そして、こっちから見たらある種うらやましいぐらい保護された中でアメリカで移植を受けるという国もあるようです。

○古屋(範)小委員 ありがとうございました。

 この資料によりますと、今まで海外渡航をして移植を受けられた方は五百二十二名と伺っておりますけれども、やはり私などが想像する以上に大変な御苦労を抱えていらっしゃるのだということが今わかりました。
 それから次に、寺岡参考人にお伺いをいたします。

 先ほど小児科学会の方から幾つかの基盤整備に関する意見陳述がございました。基盤整備がまだ整っていないという御意向であったかと思います。三点、先ほどお述べになったと思いますけれども、その中で二つ、特に被虐待児への対応を今後どうするかという点、それから脳死の診断基準についての御意見がございました。小児に対するこの二点の対応についてどのようにお考えになるか、お教えいただきたいと思います。

○寺岡参考人 お答えします。

 まず最初に、基盤整備の問題でございます。

 私は、移植学会に所属しておりますが、移植学会だけでできることではございません。これは医学会だけでもできることではありません。やはり法の整備それから行政的な基盤整備、いろいろな方面、各、あらゆる方面からの基盤整備が必要でございますが、そのような一般論を申し上げても仕方ありません。

 恐らく、この問題で一番重要なのは、先ほどから何度も御指摘なさっておりますように、どういうふうな名称になるかは別としまして、各施設ごとにそういったものをチェックする委員会が何らかの形でできる必要があるだろうということ、それからもう一つは、現在、各都道府県におきまして、第三者機関ということを先ほど清野先生がおっしゃいましたが、そういったものができつつある。また、市町村にも、行政の方から、かなり、そういった虐待に対する取り組みをどうしたらいいかということの整備が行っているようであります。

 私は、この虐待の問題は、町野先生がおっしゃいましたように、臓器移植の問題だけではなくて、それ以前に、臓器移植、臓器提供がなくても、まず虐待をなくすことを始めるべきであろう。虐待を監視する方法、見つける方法もこれは抑止力としてありますが、まず虐待をなくすにはどうしたらいいかということから総合的に始めてしかるべきだろうというふうに考えております。もちろん、虐待児からの臓器提供は決して認められません。それは、今回のA案の法案にもきちんと示されていると思います。

 それから、脳死の判定基準に関してでありますが、これは御承知のように、平成十一年に「小児における脳死判定基準に関する研究」という、研究班の報告書が出ております。これには、当時国立国際医療センター総長であられた鴨下先生、国立小児病院麻酔・集中治療科の阪井先生、静岡県立こども病院脳神経外科医長佐藤先生、それから国立小児病院神経科医長二瓶先生、このように小児の脳神経の専門家を多数含む形で構成される研究班の方々が出された診断基準がございます。

 これは、成人の判定基準に比べまして、体温が深部温で三十五度未満、成人では三十二度でございますが、それより厳しくして三十五度未満とすること。それから、観察時間が成人では六時間でありますが、小児では二十四時間以上観察しなければいけないということでございます。そのほか、年齢による除外で修正齢十二週未満を除外するといったことでありまして、かなり厳しい内容になっておりまして、これであれば六歳未満の小児におきましても脳死判定が可能であるという報告書でございます。

 私は、脳死判定の専門家ではございませんので、このような日本を代表する小児の神経の御専門の先生たちがおつくりになった判定基準で十分であろう。また、実質的に、千二百二十の医療施設におきまして百三十九例を解析されておりまして、外国の文献の考察も行い、この妥当性を主張されておりますので、これが現在のところでは我が国における一つの基準になっているだろうというふうに考えます。

○古屋(範)小委員 私も、児童虐待に関しましては、本年さらに強化をする法改正も行いまして、また、市町村での体制もさらに強化をしていこうというふうに考えております。これは社会全体で、特に政治の側の責任として対応していかなければいけない問題なんだろうというふうに考えております。

 次に、清野参考人にお伺いをいたします。

 私も、内閣府の世論調査、手元にございまして、十五歳未満からの臓器提供ができないことについてどう思うか。できないのはやむを得ない、一九・五%。できるようにすべきだ、あるいはどちらかといえば臓器移植が受けられるようにすべきという意見が六八%ございます。

 また、十五歳未満の者の臓器提供の意思を尊重すべきかどうか。十五歳未満の者の判断であっても、本人の意思を尊重すべき、二六・九%。十五歳未満の者は適正な判断ができないので、他の者、家族がかわって判断すればよい、三八・七%となっております。

 この世論調査に関しましてはどのような印象をお持ちか、お伺いいたします。

○清野参考人 我々は小児科学会の立場ですから、小児科学会会員に対する調査では、十五歳以上ないしは十二歳以上は七〇%以上がオーケーしていますが、十二歳以下になりますともう既に四四%となっていますので、その辺が小児科学会会員の分岐点ではないかと考えております。

○古屋(範)小委員 調査をする側のものによって結果が違うという御意見であったかと思います。

 次に、加藤参考人にお伺いをいたします。

 引き続き内閣府の調査なんですが、脳死での臓器提供について本人の意思表示がない場合の取り扱いにつきまして、本人の臓器提供の意思が確認できないのだから脳死での臓器提供を認めるべきではない、これが三五・七%ある一方、脳死での臓器提供を拒否していないのだから提供を認めてもよい、九・四%。また、提供を認めるか否かは家族の判断にゆだねるべき、四八・一%というふうになっております。

 この調査結果につきましてはどのような御感想をお持ちか、お伺いいたします。

○加藤参考人 先ほど申し上げましたように、まず、脳死の定義といいますか、脳死の状態を正確に皆さんに理解していただくことが大事ではないか。このアンケートの前提としての脳死の定義といいますか状態が、やや私は不正確ではないかということが一点です。

 それともう一点は、私もこのアンケートについてはちょっと分析しかねるというか、難しいなと思うところがあるのですが、一方で、前の質問では、本人の書面による意思表示がある場合に限り、脳死での臓器提供を認めるべきかどうかというアンケート、これが五二・九%ばかりありまして、次の質問、今先生がおっしゃられたような問いかけになりますと、提供を拒否していないのだから提供を認めてよいというものと、それから家族の判断にゆだねるべき、両方で五七%になるわけですね。

 そうしますと、質問の仕方によって数字がどうも矛盾するような形になっている。そのあたりについて、まだ十分、お答えになっていらっしゃる方が、考えずにという言い方はよくないのですが、そのときそのときでちょっとお答えになっていらっしゃる。基本的には半数ぐらいのところで揺れているのではないかというのが私の印象です。

○古屋(範)小委員 私も、医療の専門家ではございません。こういう質問を受けた場合に、自分としてもどう答えるかというのは、その時々により一定していないのではないかという今の御意見は、確かにうなずけるところがございます。

 今回、この小委員会を発足させた意義というのも、そうした、いわば医療の専門家ではない多くの国民にとって、臓器移植というものが一体どういうものであるか、そして今、論点になっていることがどういうことなのか、そこを明らかにしつつ正しい御理解を深めていただきたい、その趣旨でこの小委員会設置をされたものと思っております。私どもも、さらに、この件につきましては、国民の皆様への正しい御理解というものを広めていく、そういう役割があるというふうに考えているところでございます。

 それから、町野参考人にお伺いをいたします。

 脳死は人の死であるということ、そして、A案は諸外国の法制度と同じという意見陳述をいただきました。この日本の現行法の世界の中での位置づけ、そして一方で、臓器移植に関して、国際基準、先進国に近づけるという考えは妥当ではないという御意見もございました。

 その辺に関しまして、日本の現行法の位置づけと、それから日本という特殊性があるのか、あるとすればどこの点について勘案すべきなのか、御意見ございましたらいただきたいと思います。適切な質問でないかもしれませんが、よろしくお願いいたします。

○町野参考人 非常に難しい質問でございますけれども、一番答えやすい方から申しますと、最初に日本の特色は何かということですが、恐らく親族の意思を重視しているところだろうと思います。

 それは、先ほど私が言いました、親族が承諾すれば臓器の提供を認めることができるということにあらわれているわけではなくて、本人がイエスと仮に言っていても、親族がノーと言ったらとることができない。一番最初の臓器移植の、この法律のもとでの脳死臓器移植が行われた、そのときのマスコミの態度から見まして、みんな、親族は承諾するだろうかということを、ずっと新聞が追跡したことがあります。私は、これを見ておりまして、やはり日本というのはこういう国だなというぐあいに思いました。

 そして、もう一つの問題、諸外国とどういう点が似るべきであるか、あるいは独自の道を歩むべきかということですが、よく、日本の臓器移植法というのは本人の自己決定を重視しているから、これは世界にむしろ発信すべきものであって、世界の中で先進国であると言われる方もいます。

 私は、しかし、それはそうは思いません。それは、どうして本人が何も言っていない、つまりノーと言っていないときには提供を認めることができるか、それはほとんどの国がそうですから。日本以外全部そうですから。どうしてそうなのかというと、その国では死者の自己決定権を軽視しているということではない。私は、そのような失礼なことは考えられないということです。

 それは、死者の自己決定というのはどういうものであるかということについて一つのイメージがあって、ある意味で、私が先ほど申しましたとおり、死後の提供ということを、だれでも恐らく、何も言わない以上は承諾していると見て差し支えないという人間観に立っているんだろうと思います。そして私は、このような人間観は日本人もやはり共有すべきものだというぐあいに思います。この点で、世界に近づくべきだというぐあいに私は思っております。

○古屋(範)小委員 大変重要なお答えをいただき、ありがとうございました。

 次に、島薗参考人にお伺いをいたします。

 海外においてさまざまな宗教的背景を持つ国々、臓器移植を認めている国々が多く、また、そこに渡航して日本人が移植を受けているという現実がございます。こうした中で、そうした諸外国での宗教的あるいは精神的、歴史的なバックグラウンド、そして、そこから発する日本における臓器移植制度、その日本の宗教的背景もございますでしょう。この関係性について、簡単にお願いできますでしょうか。

○島薗参考人 キリスト教的な西洋の世界観が、脳死が人の死であるということに影響しているのではないかということを申しました。

 キリスト教でない国もたくさんございますので、そこはどうなっているかということですが、非常に医療が進んでおりまして、こういった先端的な医療が盛んに行われる、そして国民の関心も非常に高い、そういう国はさほど多くないということですね。日本は、近代化を早く行いまして、こういう問題に対しての、それから文化の違いについての学問的な議論というものが長く積み重ねられてきた、したがって、個々の問題に対しても、文化の差を自覚した上で問題を考察する、そういう伝統ができている、そういう背景があろうかと思います。

○古屋(範)小委員 では、次に井手参考人にお伺いいたします。

 私も子供がおりますので、交通事故に遭ったことがないわけなんですが、そのような場合に親としてどれほどか混乱に陥るだろうというのは想像にかたくないことでございます。

 そうした経過の中で、非常に大混乱に陥っている、そのときに、家族として、脳死判定をするか否か、そうした判断力というものがその経過の中で持ち得るものかどうか、この点についてお伺いいたします。

○吉野小委員長 井手参考人、時間の関係で、簡潔にお願いします。

○井手参考人 私は持ち得ませんでした。無理です。やはり助けてもらいたいという意思の方が強いですし、それから、例えば点滴を受けているのでも、それは助けるためにしていただいているのか、臓器を保存のためにしているのか、私たちにはわかりません。

○古屋(範)小委員 ありがとうございました。

 以上で質問を終わらせていただきます。

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