第169回国会 厚生労働委員会臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案審査小委員会  第1号

○古屋(範)小委員 公明党の古屋範子でございます。

 本日は、参考人の皆様方、お忙しい中国会においでいただき、貴重な御意見を賜りましたこと、心から感謝を申し上げます。

 非常に重いテーマでございます。私たちも、当小委員会において、国民に向けてしっかりと議論をし、またその論点を明らかにしていかなければいけない、このように考えております。

 まず初めに、見目参考人にお伺いをいたします。

 お二人のお子様の移植手術を受けられた、その体験をお話しになりました。海外での移植につきまして、こんなことを続けていてはいけない、そのような言葉が非常に心に残りましたし、また、提供者と家族をたたえ、ケアする制度が必要だ、このようにおっしゃっていらっしゃいました。

 臓器移植を待つ患者の方々というのは、一日一日、非常に切実な思いで待っていらっしゃると思います。しかし一方で、御家族を亡くされる悲嘆の中で臓器の提供をためらう方がいる、これも当然のことであると思います。それもよく理解できるところでございます。

 臓器の提供については、その御家族のお考えというものが非常に重要であるというふうに思いますけれども、移植を待つお立場からしますと、そこのところはどのようにお考えになりますでしょうか。

○見目参考人 お答えになっているかどうかわかりませんが、私は、自分の娘が向こうで心臓移植を待たなければいけなくなったとき、息子の場合は渡航してすぐに移植を受けたわけですから、余りそのことを考えていなかったんですが、娘の場合には予期せぬ出来事でしたので、向こうで待機をするという期間がありました。約二カ月か三カ月待ったと思います。

 その間、自分が思ってきましたのは大変矛盾することです。自分の子供は何とか助けてほしい、何とか死なないでほしい、でも、ほかの子が何とか不幸にならないでほしい、ほかの子も亡くならないでほしいと思っていました。矛盾することはよくわかっているんです。でも、こういう心境でした。

 自分の子も死に近づくわけですから、死の影がわかるわけです。ですから、自分の子がもし亡くなったらということもよくわかります。もうそこは自分の選択がないというか、その状態になってしまうわけですね。ですから、そのときに私は、自分の子が亡くなれば臓器を提供する、もうこれしかないというふうに思っておりました。

 もちろん、私は、渡航してすぐに自分の子供が臓器を提供していただく立場になるわけですから、その登録をするよりも先に病院の方に申し出をしました。まず、私は筋として、自分の家族が、自分たちが亡くなったときに臓器を提供する意思表示をしたい、その手続をする、その上で子供を助けていただくという手続に入りたいということをしました。 以上でございます。

○古屋(範)小委員 自分の子も助けたいが、ほかの子も亡くならないでほしい、非常に正直なお答えをいただきました。ありがとうございました。

 次に、福嶌参考人にお伺いをしてまいります。 実際に臓器の摘出の場にいらっしゃったという生のお声を伺ったわけなんですけれども、臓器移植は、臓器提供が行われる際に、脳死を人の死ととらえていくということであります。しかし、脳死判定がなされても、実際には心臓が鼓動し、体の温かい脳死を死ととらえることに抵抗感を感じられる方もあるわけでございます。先生も、実際に器械を停止された、そのときの心情を先ほど吐露されていました。

 脳死は、脳幹の機能を初め、生命維持機能が失われたものと聞いておりますけれども、具体的に体がどのような状態になるのか、このところをお伺いしたいと思います。

○福嶌参考人 まず一番は脳と脳幹の停止ということですので、息をしないということが一番大事なところになります。

 脳には、脳神経といういろいろな神経がございますが、その機能がなくなります。ただ、問題になりますのは、脳幹よりも下の神経が生きておりますので、痛みというものは感じないわけですが、痛み刺激が与えられた場合に筋肉が動く可能性というのはこれはございます。ですから、例えば、脳死の状態の患者さんの臓器を摘出する際に筋肉弛緩剤を使わないと、筋肉が弛緩しないとできないということは確かです。

 ただし、痛みをとめるようなお薬、いわゆる鎮静剤に当たるもの、あるいは鎮痛剤に当たるもの、こういったものを使わなくても摘出はできます。ですから、麻酔剤によってそういったものが変わるようであれば、それは脳死ではないと私は考えております。

 実際に五十例ほどの提供の現場に私は携わって、最初のときには、麻酔科の先生が脳死の方のそういう循環管理ということをされたことがありませんので、吸入麻酔薬を使われた症例がございましたが、これは誤解を招くということで、現在では一切使っておりません。使わなくても、それによる特別な血圧の変動であるとか痛みを思わせるような所見というのはございません。

 一応、そういうのが脳死の状態と私は理解しております。

○古屋(範)小委員 ありがとうございました。

 さらに福嶌参考人にお伺いいたします。

 脳死判定が厳格に実施されることは、臓器提供の議論の何よりの前提であると考えます。福嶌参考人は、これまで、脳死下提供事例に関与された経験もあるとお聞きをしておりますけれども、これまでの臓器提供事例は厳格に実施をされてきたとお考えになられるかどうか、また、今後も適正に行われるためにはその課題は何か、この点についてお伺いしたいと思います。

○福嶌参考人 七十例に関しては厳格に行われたと私は確信しております。

 そういった意味合いでは、課題があるかと言われればきっちり行われてきたということですが、ただどうしても、脳死判定をする医師の少ない病院で提供がございますということが出てくる可能性がありますので、そのときにはやはり経験のある医師がきっちりと応援をして、厳格にするということが大切だと思います。

 特に脳波につきましては、先ほども申しましたようにハムが入りますので、それが本当にハムであるのかどうかということの厳格な診断を協力してやるということになると思います。

○古屋(範)小委員 続けてもう一問、福嶌参考人に。

 医師になられた動機を先ほどお話しいただいたのですが、初めは再生医療を目指したということをおっしゃっていらっしゃいました。先ほど稲参考人の意見陳述の中にも、再生医療の技術も画期的に進歩している、あるいは人工臓器の開発も進んでいる、臓器移植をこういったもので代替するという御意見に対してはどのようにお考えになりますでしょうか。

○福嶌参考人 私は心臓の専門家ですので、心臓に限って申し上げます。 現在、私どものところでも再生医療と称して、心膜シートを心臓へ張りつける手術を拡張型心筋症で行っておりますが、これはあくまでも、薬がある程度効いて、人工心臓をつけて、外せるか外せないか、もうぎりぎりのところの患者さんに行う医療であって、拡張型心筋症そのものを治す治療ではございません。

 よく報道で間違って、これがもう変わるというようなことを書かれておりますが、こういうことはございません。心臓の筋肉をつくるというのはそう簡単なものではありませんで、少なくとも三十年ぐらいはこれからまだかかるものだと僕は思います。

 それとあと人工心臓につきましても、我々の病院では約十種類ぐらいの人工心臓を使っておりますが、マキシマムで言って、今まで五年以上の症例というのはございません。しかも、入院生活をしていて普通の生活ができるわけではございませんので、これが今すぐに心臓移植に取ってかわるものかと言われたら、違うと断言できると思います。

○古屋(範)小委員 よくわかりました。ありがとうございました。

 次に、杉本参考人にお伺いをいたします。

 直近の世論調査によりますと、脳死判定後の臓器提供、提供したいが四一・六%、また脳死での臓器提供については、本人の意思表示がない場合、提供を認めるか否かは家族の判断にゆだねるべきが四八・一%、また、十五歳未満の者から臓器提供ができないことについてどう思うか、できるようにすべき、これが六八%というような結果が出ております。

 確かに、まだまだ国民的議論は、尽きたというよりもこれからである、まだ十分ではないという印象を私も持っておりますけれども、杉本参考人は、こうした調査結果についてはどのような感想をお持ちでしょうか。

○杉本参考人 正直申し上げて、先ほど僕が申し上げたように、一九八五年の診断基準で診断ができないということは言っておりませんね。診断はできるんだけれども、その診断で脳死だとして、それが死なんだという了解が、本当の意味で皆さんわかった上でそのイエス、ノーを答えておられるのかということ。

 それから、僕自身が医者であって、我が子をベッド上で見たときに、これは脳死なんだよ、明らかにうちの子は脳死だったと僕も思いますが、脳死なんだよと言われて、はい、そうですかという気持ちにはほとんどなれないんだろうなという気がします。

 だから、その数字の持つ意味というのは、数としてはわかりますが、どうも、そのことについてどうだと言われても、それが多いから合意ができたかどうかというのもなかなかわかりづらいところがあるんだろうな、正直言って、そう思います。

○古屋(範)小委員 ありがとうございました。

 これから、いろいろな意味で国民にとって正しい認識の普及、これが非常に必要なんだろうなという気がいたしております。

 次に、井田参考人にお伺いをいたします。

 私も国民の一人として、先生がおっしゃったように、普通に生活をしている、ほぼ健康な状態にあって、死後自分がどう扱われるかということを、日常的に、それも真剣に考えるというのは、なかなかそういう機会は少ないのではないかというような先生の御主張に私も共感をするところでございます。

 先生は、ポテンシャルとしての提供意思を、近親者がそれをあらわしてあげるんだというようなお話であったかと思うのですが、現実的にそういう場面になったときに、近親者といっても幅があるように思うのですが、先生はその辺のことについてはどうお考えでしょうか。

○井田参考人 もちろん、これは近親者の同意ということであるので、納得できる人に限ってそういう提供に同意をするということになると思われますので、だれかが強制するとか、あるいは医療関係者ないしはコーディネーターが出てきて事実上の強制を加えるということはあってはならないし、そういう環境がつくられてはもちろんいけないのですけれども、要するに、やはり基本は家族。

 これまで、一番その亡くなった方を知っていらっしゃる家族の人がずっと見ていて、その人がどういう気持ちでいるだろうか、あるいはいたであろうかということを、そんたくという言葉をよく使われますけれども、そんたくする形で、また、親族御自身の気持ちも納得できるというところで初めて提供の意思に、いわば具体的なものとして形になっていくんだろうというふうに思います。

 さっき先生おっしゃったように、私どもが夜中にカードを出してきて、ではサインするかな、そういう場面というのは、よほど立派な人なら別かもしれませんが、普通の人はやはり嫌だと思うんですね。ただそれは、だからといって摘出に対しても絶対反対というのじゃなくて、やはりそこの部分を酌んであげて、そして、ポテンシャルな提供意思はだれもが持っているんだという言い方を私はしましたけれども、それを親族が、さっき言ったような形で具体的な形にしてやるというのが一番よいやり方であるし、だからこそ、世界の多くの国でもそういうやり方がとられているんだろうというふうに私は思っているわけです。

○古屋(範)小委員 稲参考人にお伺いをしてまいります。

 脳死、臓器移植の問題は、生死観にもかかわる重要な問題であると思います。社会としても、その議論を重ねましてこのあり方を考えていかなきゃいけない、こう思うわけでございます。

 海外では脳死からの臓器提供が幅広く認められておりまして、我が国でも、平成十八年の世論調査の結果を見ますと、脳死下で臓器を提供したいと答える方が四割を超える。ある意味、脳死に対する理解も、少しずつではありますが進んできているように思います。

 そこで、日本人の脳死や臓器提供の問題への考え方は海外との違いがあるのか、あるいはどのような点か、お伺いしたいと思います。

○稲参考人 海外との違いということでございますけれども、その点につきましては、やはり先ほども申したように、文化的な違いあるいは死生観の違い、そういったものが根底的にあるのだろうというふうに私は考えております。

 ただ、具体的にどう違うのか、そういったところにつきましてはこの場でちょっとお答えすることはできませんけれども、そういった問題も含めて、現行法のもとでなぜ七十例にすぎないのかという御指摘があるかと思いますけれども、現行法のもとでドナーをふやしていく方法はないのか、そういったことも、文化の違いからいろいろと考える余地はあるのではないかというふうに考えております。

○古屋(範)小委員 稲参考人にもう一問お伺いいたします。

 臓器移植の議論を進める上で、宗教者として、何に留意されるべきか。先ほどの意見陳述にもございましたけれども、さらに何かあればお答えいただきたいと思います。

○稲参考人 やはり脳死臓器移植の問題で一番議論されているところが、死の定義であると同時に、人の人生の最後をどういうあり方で迎えていくのか、人はどういうふうに死んでいくのか、そういうものと、この脳死臓器移植の問題は非常に密接に結びついている問題でございます。そこに文化的な背景も大きく考えなければなりませんし、宗教者にとりましても、この問題をどう考えるかは、今後も大きな課題、問題として考え、そして取り組んでいかなければならないというふうに考えております。

○古屋(範)小委員 中村参考人にお伺いいたします。

 先ほども御自身の体験を切々とお話しになりまして、私も一人の親として胸を打たれました。心臓が鼓動していて体が温かく、また成長してくる、そういうお嬢さんのお姿を見ながらの正直な御心情であったかと思います。この心臓提供、やはり任意の同意が絶対の前提なんだという思いを深くいたしました。

 しかし、その同意を切り出す、もしそういった場面に会ったときに何が一番大切か、どう思われますでしょうか、お答えをお願いいたします。

○中村参考人 私もそうだったんですけれども、たった今まで、たったさっきまで元気に笑って、普通の、笑えて歌ってしゃべってという我が子が、ある日突然、本当に考えもしなかった脳死ということになってしまいまして、全く意識もなく、しゃべってくれることもなくという姿になってしまったときに、まず担ぎ込まれていったときに、脳死と言われる前の段階で私が思うのは、とにかく先生、娘を何とかしてください、助けてください、どんな形であってもいいですから命だけは救ってください、ただそれだけの気持ちだったので、そのときに、移植の話とかそういうことは冷静に考えられない状態だと思います。

 現に私の方にはそういうお話はもちろんありませんでしたけれども、もしそこで移植の話があったとしても、冷静な親の判断は全くできない状況だと思います。

○古屋(範)小委員 ありがとうございました。

 皆様の貴重な御意見を踏まえまして、法案の審議に役立ててまいります。

 以上で質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。

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