第171回国会 衆議院 厚生労働委員会-15号

○古屋(範)委員 公明党の古屋範子でございます。

 日本で臓器移植法が一九九七年に施行されまして、十一年がたちます。臓器提供されたのはわずか八十一例という現状でございます。また、三年後の見直し規定があったにもかかわりませず、今日まで参りました。

 当委員会に小委員会が設置をされまして、前国会までは私もその一員として議論をしてまいりました。特に参考人質疑では、臓器移植医、小児科医、法医学の専門家、また実際に海外で移植を受けられた患者の家族、あるいはお子様が交通事故に遭われた御家族等々、非常に貴重な御意見を賜ってまいりました。

 今国会で一つの大きな結論を得ようという流れが今できつつあります。また、これまでのA案、B案、C案に加えましてD案が俎上に上がってまいりました。死生観の絡む大変に難しい問題ではございますが、しっかりと議論をしていかなければならない、このように考えております。

 そこで、私は、国内で小児に移植の道を開かなければいけないという立場から、十五日に提出をされましたD案について幾つか質問をしてまいります。

 初めに、脳死を人の死とするということについてお伺いをいたします。

 この問題につきましては、脳死は人の死であり、社会的、倫理的問題や臓器提供の有無とは無関係に、脳死の判断は科学的になされるものであるとの意見がございます。また一方で、我が国では脳死を人の死とする社会的合意がいまだでき上がっていない、改めて脳死臨調を設置し、社会的コンセンサスができるまで誠実に議論を重ねていくべきであるとの意見もあるわけでございます。

 現行法では、臓器提供の場合に限り人の死とされております。これは心臓死と脳死という二通りの人の死をつくり出すなど、法律的にもいびつな妥協案であるとの指摘もあるわけです。

 そこで、現在提出されている改正法案を見ますと、D案におきましては、脳死の考え方については現行の臓器移植法の考え方を踏襲すると伺っておりますけれども、その理由についてお伺いをいたします。

    〔委員長退席、三ッ林委員長代理着席〕

○根本議員 医学的な脳死は私は医学的には死だと思います。ただ、その医学的な死と法律的な死、ここにはまだ幅があるんだと私は思うんですね。

 その意味で、医学的に脳死状態になった方を人の死ととらえることができるか。ここが、欧米諸国と違って日本の場合は、欧米諸国の場合は心と体の二元論の社会ですから、ある程度合理的にそこは割り切れると思うんですが、日本人の場合は、人生観や死生観、宗教観によって、脳死状態になっても心臓が動いている、どうしてもこれを人の死とは考えられない。これは、看護婦さんなんかでもそういう状態に立ち至る方が多いと私も本で読みました。

 となりますと、脳死が人の死かというのは社会的合意が得られていませんので、現行の法律のもとで、脳死が人の死かは考え方が分かれます、分かれますが、脳死を人の死として受容できる、認められる方のとうとい臓器提供という気持ちを大切にして、この法律を考えております。

○古屋(範)委員 ありがとうございました。

 欧米では非常に合理的な考え方が浸透しているけれども、やはり日本ではそれはそぐわないのではないか、脳死を人の死とする者、あるはそうではないと感ずる者、そこのところは二元的なままでよいという御意見であったのかというふうに思います。

 それで、次に提供可能年齢についてお伺いしてまいります。

 現行法では、生前の意思表示能力がないとして、十五歳未満の脳死者からの臓器摘出を禁じております。このため、国内では子供の体に見合う臓器が得られないということで、小児の患者は渡航して移植をするということに頼らざるを得ない現状が続いております。このように日本人が海外で移植を受けることについては、国際社会からも厳しい批判の目が向けられております。また、今後は海外での移植も困難な状況になるということも予想されております。

 そこで、D案における主要な改正点といたしまして、現行法で認められていない十五歳未満の者からの臓器提供につきまして、家族の同意と第三者機関の確認が必要と一定の条件をつけられておりますけれども、十五歳未満の子供の国内での臓器移植に道筋がつくものと思われます。

 今回、十五歳未満の者に道を開くこととしたお考えをお聞かせいただきたいと思います。

○西川(京)議員 古屋先生の御質問にお答えさせていただきます。

 確かに、今までの現行法では十五歳未満が認められていなかった。その中で、やはり臓器移植しか生きる道のないお子さんたちに対しての海外での移植、これはかなり現実にそういう善意の方々のいろいろな思いもあって実現しておりましたが、やはり、このままでいいということではない、そういう認識は皆さん持っていたと思いますね。当然、WHOの要請もあった中で、この道をやはり国内でもきちんと進めていかなければいけない。その中で今回の法案の提出になりました。

 先ほどから、その中で、十五歳以下、それは公文書が作成できる、できない年齢ということで、十五歳以下はだめということになっていたわけですが、当然子供にもその意思はあるだろうと。あくまでも、このD案提出者の私たちは、本人の意思を尊重するということが大前提でございます。その中で、子供の意思を一番わかっているのはやはり親だろうと。その親たちにしても、今回、脳死は人の死だと受け入れられない親の方にそのことを強制するものではない。やはり、脳死は人の死だと考えられる親が、子供の生前のいろいろな思いをそんたくして、親がかわって同意をする、それに尽きると思います。

 その中で、やはり、それでもなおかつまだ子供に対する暴力その他の問題が、あるいは説明責任がきちんとできていない問題があるかもしれないということで、第三者機関を設けて、そこに透明性、公正性を入れたということでございます。

 それとともに、やはり早急に六歳以下の方々の脳死の判定の問題、まだこれはできておりませんので、きちんとした第二脳死臨調を立ち上げて、この問題をきちんと精査するということが大前提だと思います。

 以上でございます。

○古屋(範)委員 ありがとうございました。

 国際的な要請、WHOの要請もあり、また、本人の意思を最大尊重した上で、親の考え方というものをさらに尊重していくというお答えであったかと思います。

 次に、十五歳未満の子供が国内での臓器移植をするということに関して、国内での臓器移植を広げなければいけないという意見がある一方で、小児の脳死は即座に心臓死に至らない場合がある、被虐待児からの臓器の摘出の防止策を検討する必要性、さらには、小児科医の方々からは、小児ドナーが被虐待児であるかどうかの診断を適正に行うことができない、子供は大人より脳死判定が難しいなど、さまざまな指摘がなされているのも事実でございます。

 D案では、こうした指摘に対しまして、十五歳未満の子供の臓器提供に際しては、親からの虐待がなかったか、また、脳死判定や臓器摘出について家族に十分な説明がされていたか、病院内の第三者委員会で確認をすると伺っております。このようなプロセスを導入した理由についてお伺いいたします。

○岡本(充)議員 お答えいたします。

 今、先生から御指摘がありましたように、子供の意思決定というのは、子供がまだ人格形成の途上にあり、重要事項の決定に当たっては本人だけではなし得ないということ、こういう事実は厳然としてあるわけでありますから、これを補完する意味でも、第三者委員会でその適正さを判断する、また、虐待等の有無を判断する。これはまさに先生が言われたとおりなんですけれども、我々としては、こういったステップ、その前に、まず主治医、また担当看護師等が家族と接し、また患児を診る中で、虐待のおそれありということになれば、当然のことながら、そのプロセスはそこでとまるわけになりますし、もっと言えば、その疑いがあると第三者委員会が判断をした場合は、当然、児童相談所へ児童虐待防止法にのっとって通報することとなります。

 こういうプロセスの中で適正にこれまで処置または治療がなされ、そしてまた、適切なプロセスを経ているということが確認をされている、もちろん親の同意がある前提ですけれども、そういった児に限ってこの脳死判定が有効となってくる、こういうふうな仕組みになっているところであります。

○古屋(範)委員 続けて、その第三者委員会の構成についてお尋ねいたします。

○岡本(充)議員 各病院に倫理委員会が設置をされております。この倫理委員会の構成に倣う形になると思いますけれども、一つは、医療従事者、医師、看護師等、もちろんその医師はこの脳死判定にかかわっていない、また主治医以外の医師を含むわけでありますけれども、こういった方、また、医療従事者以外でも、弁護士等、医療従事者以外の観点からの適正な助言、アドバイスを受けながら第三者委員会は構成されるものと考えております。

○古屋(範)委員 最後の質問になります。

 D案では、十五歳未満の者からの臓器提供について道を開くとされていますけれども、十五歳以上の者については現行制度の枠組みを維持されています。現行制度のもとではなかなか臓器提供が進まない、多くの方が移植を待っているという現実もございますけれども、この点についてのお考えをお伺いいたします。

○根本議員 D案の考え方は先生のおっしゃるとおりで、D案の考え方は、あくまでも、脳死は人の死、これは社会的にそれぞれ個人の判断は分かれますから、脳死を人の死として認め、受けとめる、受容できる方の意思を尊重しようというのが基本であります。

 では、ここで臓器提供がふえるのか、こういうお話ですが、ここは、今まではドナーカードだけでやってまいりました。D案では、臓器提供の意思を表明する機会をふやそう、より意思を表明しやすくしようということで、運転免許証や保険証に意思表示の欄を設けて、そして、こういう欄を設けますと、国民の皆さんがそこで臓器提供の問題を考えられるようになるし、理解も進むし、そこでだんだん社会的な合意がより深まっていくだろう、こう考えております。

○古屋(範)委員 今のお答えにもございましたように、今後提供者をふやしていくためには、ドナーカードの普及に力を入れていくということが大事になってくるかと思います。そして、私たちがそういう段階から家族で、自分の死、また臓器提供というものに関してもっと話をしていく、そういう場がつくられていくことが大事なんだろうと思います。

 この臓器移植法の改正は、人々の死生観、また医療への信頼にもかかわる重い課題でございます。また今後しっかりと議論をしてまいりたいと思います。

 ありがとうございました。

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